ニックネーム:ペーパームーン
性別:女
都道府県:大阪
ナチュラルに、心が安らぐ生活、そんなこと話していきたいな

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スペインC (9/7〜9/9 )
2007年11月16日(金)
1990年9月7日(金) 

良く寝た
朝食にトマトを食べていると同室のオバサンと車掌さんが「トマトを生で食べるとお腹をこわすよ」って教えてくれた。トマトノパッケージを見ると “サラダ用トマト”となっていたのでこれは大丈夫だそう。これからはよく見て買うわね、オバサン。

食べ終わったらもう9:00pm。バルセロナに着いた。
ここから地下鉄 L5に乗り、L4に乗り換えて5つ目で下車。

まずは宿を、ということでテルミノ駅近くで探してみた。
「Pension Francia」に決定。2Fが受付で更に、2F上がっていくとやっと私達の部屋#11がある。中は綺麗。1泊1400pst.で3泊の予定。

こちらの地下鉄のアナウンスはマドリッドと逆バージョン。
女の人が質問し、男の人が答えてた。

バルセロナはやっぱり天才建築家のガウディははずせない。ということで、ガウディ尽くしの一日となった。

カサ・ミラ(Casa Mila)は山がテーマになっている

カサ・バトロ (Casa Batllo)は海がテーマ

カサ・バトロの前にはグエル邸 (Palacio Guell)




レアル広場 (Placa Reial)には2つのガス燈。
← 2つのうちの1つ。
これもガウディ作。

なんて楽しいの。ガウディは最高!

本当に天才。
だけど私生活では悲しい生涯だったよう。

8:00pmになりシェスタが終ると食事に出た。
近くの大衆バルでラビオリ、ビーフステーキ、パン、白ワイン、アイスを注文。858pst.
夜行電車で疲れていたので9:30pmに就寝。


1990年9月8日(土)  /

2Fがダイニング。パンはフランスパンで美味しいパンにありつけたのは久しぶり。それとミルクコーヒ。

2年後の1992年のバルセロナオリンピックのために修復中や工事が多い市内。

そのオリンピック・メイン会場 (Estadi Olimpic)を見に行った。中に入れるって聞いたのに入れなかったので、すきまから写真をとった。

歩いてスペイン広場に行きここでランチにした。ビュフェスタイルのカフェに入って、牛肉とポテトの煮込み、マカロニのボロネーズ和え、パン、水、フルーツポンチ。
Kazumiちゃんから魚のフリッター、Ayaちゃんのオムレツをつまみ食い。1,108pst.
地下鉄でサンツ駅で乗り換えて
サグラダファミリア(聖家族教会―Sagrada Familia)へ。
←入場チケット


キリストの石造が上に    ステンドグラスが綺麗

塔には登ることが出来た。何段あるか数えてみると、230段あまりタイルの模様が目の前。

高所恐怖症だったけどいい経験。いつもは写真でしか見れなかったのに上には上からの角度で見えるから。やはり完成には200年以上かかると見え工事中ばかりだけど。

一度ホテルに帰った。夕食前にシャワーを浴びるのが習慣になったスペイン。
ホテルの近くの「Casa Nebot」で、Angerという白身魚と水を注文。今までよりちょっとお高い。高級魚かな?1,650pst.


昨日も今日もホテル前はにぎやか
。スペイン民謡で椅子にはおじいちゃんやおばあちゃん、子供まで。ビールを飲みながら子供はも母さんは踊ったり・・楽しそう。
ギャーギャー大騒ぎする声も。
有名な人でも演奏しているのかな?


1990年9月9日(日) 

L4地下鉄でL3に乗り換えLessepsで下車。
そこから坂道を登ってガウディ設計のグエル公園 (Parque Guell)へ。
ワニのタイル造りの置物があって楽しさいっぱい。
でも残念ながらありとあらゆるベンチが全て修復中。
座ることが出来なかった。なんで?1つぐらいは・・
オリンピックの影響だろうね。

坂を下りて途中にある「Pirana」が今日のランチのお店。
カネロニにチキンとポテト、アイスクリームにサングリアをKazumiちゃんと半分。
ちょっと飲みすぎた。久しぶりに昼間から飲んで酔っ払っちゃた。 833pst.

午後はゆっくり。シェスタをしたわ。

8:00pmになって、久しぶりのチャイニーズレストラン、「金城飯店」へ。
明日は再びフランス、南仏を目指す。またあのバゲットが食べられる

フランス・プロヴァンス地方 (9/10〜9/12)へ続く
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スペインB(9/4〜9/6
1990年9月4日(火) 

10:00am起き。コーンフレークの朝食。
今日はボバディージャという街へ行く予定。といってもこの街には用事はなくてただのグラナダやマラガなどへ行く中継点で今日はそこへ行くだけだからのんびり支度をしていた。

美味しい料理を作ってくれたおばさんと娘さんにさよならをいい、20分重いリュックを背負って駅に到着した。
駅でマラガからバルセロナ行きのクシェット(1590pst.) を予約した。

駅のホームで待っているとボバディーリャ・グラナダ行きはあっちの電車だよって教えてくれた。それが遥か向こうでいちいち階段の上り下りが面倒くさいので、皆がしているようにいきなりホームにおりていくつもの線路を越えてホームに行った。日本だったら怒られるのに。

無事乗り込むとすぐに出発した。あー間に合った。約2時間でボバディーリャに到着。
この街に何の知識もない。駅前にはインフォメーションもない。駅員に尋ねると、この街にはホテルなんてそんなものはナイ!といわれてしまった

立ち尽くす私達。グラナダ行きは3:10pmもうすぐ出発するということで予定を変更してさっきの列車に再び乗り込んだ。シエラネバダ山脈が見えてきてグラナダに着いたのは5:30pm。

ホテルも満室と断られてばっかり。探し回ってやっと空いているホテルを見つけた。
「Hostal Florida」1人1泊1,200pst.
ベッドのスプリングが柔らかい。でも5Fだから涼しいのは何より。
夕食は近くのイタリアンレストランでボンゴレビアンコとワイン炭酸割りを注文。(920pst.)
早く就寝。


1990年9月5日(水)  

朝食は広場のカフェにてカフェオレとパン。

今日は1日アルハンブラ宮殿(Palacio de la Alhambra)で贅沢に過ごす。
カテドラルや王室礼拝堂を通ってアルハンブラへ続く坂道を登っていく。
のんびりウインドーショッピングをしながら30分かけてトコトコ登り、やっとアルハンブラ宮殿に到着。170年の歳月をかけて完成したのね。

チケット売場は裁きの門 (Puerta de la Justicia)前にあった。


今現在は違う場所に変わったんだって。
それも早朝に行くかあらかじめ予約しないと入場出来なくて、カサ・レアル(宮殿)はチケットに書かれている時間しか入ることが出来ないんだってね。

私達は予約不要。余裕で入れた。
おまけに475pst.と今では考えられないほど安く。



これが入り口、裁きの門。 外枠アーチの上にある手(↑)に注目。この手で裁きを下しますよっていう意味なのだろうか?


入ってまずはアルカサバ(Alcazaba)へ。
ここは軍の要塞。残念ながら画像がないのだけど、眺めは抜群。
見張り塔からグラナダ市外を眺める。

そして、カサ・レアル(Casa Real)へと入っていく。中には、メスアール宮殿 (Mexuar)。

ここはメスアールの中庭


有名なライオンの中庭(Patio de los Leones)

ライオン?羊のようなネコちゃんのような。口から流れる噴水は時計としての役割をはたしていたんですってここでランチ。サンドイッチとコーラ、ポテトチップスを買う。。


そしてパルタルの庭 (Jardines de Partal)ちょうどカサ・レアルを出るとこの庭園が


ちょっと離れている離宮、ヘネラリッフェ (Generalife)へ向かう。

正門からヘネラリッフェへ向かう長い小道にて

上の白い建物がヘネラリッフェ。
なかなか着かないだらだらな上り坂。

でも、ヘネラリッフェのアセキアのパティオ (Patio de la Acequia)を見たとたん、来て良かったと思った。
涼しげな噴水。もすばらしい。
時を立つのを忘れ、木陰でずっと庭を眺めていた私達だった。

6:00pm、そろそろ帰らねば・・ということで再び、今度は坂を下るのでとっても楽。

のんびりとお土産屋さんをのぞきながら下りた。
急がなくてもディナーは8:00pmだもの。

エッグスタンドを買う。
2つで250pst.

帰りは#4バスでホテルに帰りシャワーを浴びて再び街へ。
今日のディナーは 「Reves Catolicos」でマカロニイタリアン風、野菜オムレツにサングリアとプリン。1,139pst.

1990年9月6日(木) 

今日はコスタ・デル・ソルを目指す。そこからアフリカ大陸を見ようと思っている。

#9のバスでグラナダ駅に行き、8:10am発、ボバディーヤ行きに乗った。
途中、にぎやかなジプシー軍団が乗車してきた。おじさん、子供、おばさん、お姉さんなど総勢8人。ジプシー軍団といってもスリ専門ではなく、大道芸芸人らしくて、フラメンコの衣装着ていたり、まあ、ハデハデ。

そのうち、J&Bを私達にボトルごと勧めてきた。タバコやお菓子、飲めや歌えでスペイン語が飛び散り、フラメンコを踊りだす。ほんとうににぎやか。

2時間はあっという間に過ぎ、マラガ行きの電車は10分後に発車。
ピレネー山脈がずっと続いている。何もない赤茶けた大地。時々ひまわり畑が姿を現す。

この大地の果てにはアフリカ大陸。期待を胸にマラガ駅に11:30amに到着した。
荷物をロッカーに入れて駅を出たものの、インフォメーションセンターが見当たらない。
出鼻をくじかれ、ランチにした。
「Meson La Aldea」で、レッドフィッシュというものを食べた。6匹のイワシの大きさの魚。味は海老に似ていた。それとお水。

結局海には行けなかった。港と駅の近くはちょっと危険な場所らしく、海も工事をしていてフェンスがずっとかけられていた。ショック!

夜行列車に乗る準備をしてた。5:10pm発。買ったハムのサンドイッチとトマトを食べた。
ハムにはオリーブがぎっしり。

9:30pmになり、座席から寝台にしてねた。

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スペインA (9/1〜9/3)
2007年11月15日(木)
1990年9月1日(土) 

朝食は前日に買っておいたパンにバナナ、うなぎだと思って買った缶詰は何だったんだろう。しょっぱくて食べられなかった。4日間お世話になったこのホテルともお別れ。

メトロでアトーチャー RENFで下車。メトロとRENFがつながっていて歩かなくて済んだ。予約券を見ながら私達の列車を確認。5番ホームから出発。5分前になりやっと来た。

食堂車も含めて4両編成しかないので予約を入れといて良かったわ。後で聞くと、スペイン国鉄は予約なしでは乗ることが出来ないということだった。

この頃は今のように AVE(スペインの新幹線でコルドバまでは2時間弱で行ける)がまだ開通していなかった。タルゴっていう手もあったけど、この時もまぁ急ぐ旅行でもないからと急行にしたのだった。

8:36am出発。1等の禁煙席を確保出来た。コンパートメントではなくて、1列4人がけで一方方向を向いている。TVもあって、有料でイアホンが貸し出されていた。
TVが始まった。それはNHKで日本がスペインに提供した番組らしく、言葉はスペイン語だった。山梨県が舞台で蜂の採集で日本人3人がインタビューを受けていた。意外!こんな場所でまさか日本の番組を見るなんて。

昨日買った、Maria Luという名前のクッキーを食べてTea Time。

1:15pmにコルドバ (Cordoba)に到着した。駅から出て予約なしで歩いて20分のホテルへ行った。
「Fonda Maestre」というペンションタイプ。おばさんは日本語が少しわかって、娘さんも
とってもチャーミング。1泊、1,150pst. 3泊の予定。

ペンションのパティオが2つ。とっても素敵

パティオの役割: 一年中暑く、特にアンダルジアは家が密集している為、少しでも日陰にして暑さを和らげ風を入れる為にどの家にもパティオ(中庭)を作っているという。
噴水がある家もある。このペンションも間口が狭く奥行きが長かった。

ランチは「Bar Dadalos」というバル。立ち食いは少し安いけどゆっくり食べたいので奥の席に座った。肉団子のスープ、小魚のフライ、パン、サラダ、白ワイン付、メロンで600pst.と安くて美味しかった。

今日はゆっくりホテルの部屋で過ごした。夕方、デパートから帰ってきたらちょうど娘さんが夕食に呼んでくれた。600pst.だと言うから安いし予約しておいたのだ。

大きなテーブルのある所で待っていると、スイス・インターラーケンのYHで逢った女の子とパッタリここで会った。お互いビックリ。
あの後、彼女はウィーン、ハンガリー、チェコ、イタリア、そしてフランスを抜けてスペインに入ってきたんだって。
あのYHの時の話が弾んだわ。
そのうち、料理が運ばれてきた。
いつもこのダイニングで家族が食事をするという。だけど食事をするのは10時頃だって。
やっぱりそうなのね、一般家庭は。
途中娘さんの彼氏らしき人から電話がかかってきてなんだか本当に一般家庭にいるみたい。

野菜パエリア(娘さんの前)がてんこ盛り。
普通家庭で食べるパエリアは野菜なんだって。
その他、ポテトオムレツ、チョリソー、サラダにパン、ビノ・ティント・コン・カセーラ (赤ワインと炭酸を割ったもの)などママの料理、アンダルシアの郷土料理が並ぶ。デザートにラフランス。

部屋にもどる。扇風機を付けないと眠れないほど。エアコンがあれば言うことなしなんだけどね。


1990年9月2日(日) 

7:00am。目覚ましが鳴ったけど、ひどく体が重い。皆体調が悪いからセビリア行きをキャンセルした。結局10:00amまで寝ていた。

市内観光へとホテルを出た。

まずはヴィアナ宮殿 (Palacio de Viana)へ。ここはヴィアナ侯爵家の邸宅だったが、8年前に一般公開された。


これがチケット 入場料 200pst.
この調度品の数々、いかに貴族の生活が優雅だったかがうかがえる。

パティオがなんと12もある。スペイン風以外にイスラム風だったりもする。

これが最初に宮殿に入って最初にみる中庭


細長い噴水のあるパティオ と 石のタイル


パティオに飾られているタイル

最後にオレンジの中庭


ランチは近くで、「Bar Santa Maria」というバル。ちょっと中の様子を伺っていると中のお客が入って来いって手招きしていて奥にテーブルがあったので入ってみた。

すると、4年前にバルセロナから移り住んできたという54歳のおじさんがしきりに何を飲むんだ?と聞いてきた。
私とAyaちゃんはサングリアでKazumiちゃんはビール。おつまみにハム盛り合わせとチキンのニンニク炒めを注文。そのおじさん、おごってあげるから・・ということで好意でおごってもらうことにした。

ここまではおごりで後は私達で払うつもりでいたので、その後も料理を追加をしアイスまで注文。

私達が出る頃にはそのおじさんいなかった。お店の人はいっさいお金を受け取らなかった。きっと、あのおじさん、ツケにして出て行ったと思う。

昼間っから飲んでいるおじさんがいっぱいいるバルだけど、きっとここがおじさん達の唯一の癒しの場所かもしれないわね。これからは気軽に入れそう。

世界遺産のメスキーター寺院 (Mezqita)へ行った。入場料 300pst. 

回教徒の寺院でメッカに次ぐ規模のもの。ガイドブックでよくみるけど、天井の模様といい、アーチといい実物の方がはるかに素晴らしい。

天井   と   アーチ



ここからすぐの“花の小道 (Calle de Floral)”に行ったけど花は殆ど咲いていなかったの。

ユダヤ人街の細い道を迷路のように進んで歩いていくと私達のホテルのある通りにでた。

部屋で一休み。シャワーを浴びて8時過ぎに再び外へ。

夕食は近くの「La La La」へ。ベジタブルスープ、ハムエッグ、サラダ、水、メロンで650pst.。今日はワインは残念なことに体調と相談して休憩。


1990年9月3日(月) 

今日は昨日予定していたセビリアへ1時間半の小旅行。
8:44amの列車の1等に乗り込む。ゆれが少なく快適。ちょっと冷房が効きすぎ。

10:10amにセビリア・サンベルナンド駅(Sevia San Bernandes)に到着。

南国的で椰子の木がそこらじゅうにあって、とにかく暑い!

スペインに来て一番暑い!!
絶対40℃超えているわ。

セビリアのカテドラル (Catedral)はスペイン第1の規模。1986年に世界遺産に登録された。入場料 225pst.

ステンドグラスが綺麗。中央礼拝堂は細い金の彫刻で80年の歳月がかかって完成したもの。
ムリーリョの"受胎告知“やゴヤなどの絵画もあった。
コロンブスの墓もある。
持っているのは、当時の国王達、レオン、カステイーヤ、ナバラ、アラゴンの4人。

隣にはヒラルダの塔(Giralda)

高さ97m。登ってみる。上からは闘牛場も見える。

あまりの暑さでレモンシャーベットを食べた。
よーく冷えて美味しかったわ。

塔の脇、グワダルキビール川の畔に座っていると、通りかかった3人の日本人に声をかけられた。
フランスパリでの用事を済ませ、ちょっとアンダルジア地方へ立ち寄ったんだそう。
1人はお茶の先生、1人は東京J大学フランス語教授というすごい顔ぶれだった。
一緒にお茶をということでバルに行った。
戦争のこと、この旅行のこと、これからのこと。
お水を買ってもらい、除菌クリーナーやビタミン剤、痛み止めなどの薬をもらった。
「親切にされたらその分、困っている人に親切にしておあげなさい。お守りとして持っていなさい」と封筒を渡された。

帰り際になって封筒の中身がお金であることに気が付いた。2万円も。
私達あわててしまい、3人を呼び止めてせめてお名前だけども・・といったんだけど教えてくれなかった。とっさに写真を写し、いつかきっと3人を探しあてて・・・と思っているのだけど未だに御礼が言えずにいる。

コルドバにもどり「El Triunfo」で白身魚のグリーンピース和えに水を注文。(水はただではなく買うもの)986pst.
なかなか寝付けない寝苦しい夜だった。

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2007-11-15 20:57 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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スペイン@ (8/28〜8/31)
2007年11月14日(水)
1990年8月28(日)  なんと39℃

昨日リスボンを出発したのが9:25pm。私達の乗り込んだ列車はルシタニア(Lusitania Express)というトレインホテル。特等に乗れたらどんなによいか・・・。2等はいつもと一緒の客室で男女の区別なし。

起こされたのは1:00am頃(?)だった。パスポートにスペイン入国スタンプを押してくれた。

そして又ぐっすり。 朝になって起きて顔を洗いにいくと、もうマドリッドに着いてしまった。
そう、時差があったんだ。リスボンで1時間遅らせたのだが、再びスペインに入って1時間早めなきゃいけなかった。
8:55pmにマドリッド・チャーマーチン駅 (Madrid Chamartin Station)に着いた。あわてて飛び降りた。
マドリッド→コルドバ間の列車座席予約を済ませ、駅で朝食をとった。
直接予約もなしにホテルに向かう。歩いて30分ぐらい、重い荷物をしょって。まだ10時だというのになんて暑いことか、掲示板が33℃を示していた。ヒェーッ!!

「Hotel Los Alpes」1泊1200Pst.の4F。部屋を開けてくれた。ベッドカバーが可愛い。荷物も部屋に置いて、ランチを取りに行く。

カメラのフィルムを出そうとするとシェスタが始まってしまい、シャッターが次から次へと閉まっていった。一度ホテルにもどって4時30分頃に再び行くと店は開いていたのでほっとした。

王宮 (Palacio Real)へ。

食事は8:00pmからオープンする。
「Dona Juana」で本日のメニュー、ガスパーチョ、パエリア、白ワイン1ボトル、メロンで1人825Pst.と手頃 (1,000円ぐらい)。パエリアは魚介類がいっぱい。量も多い。
夜行で疲れていたので早めに就寝。今日は暑かった!!


1990年8月29日(水) 

朝出て歩いている時でももう30℃を超えている。街でよく時間と気温が交互に表示される掲示板を見かける。今日も蒸し暑くなりそう。でも、朝方は寒いのよ。

スペイン語はKazumiちゃんに任せる。ホテル近くのカフェでショコラだけ買ってホテルにもどり朝食をとった。お店の人に「コップ持ってる?」って聞かれた。そういえば、皆、マイコップを持ってきてコーヒーやミルクを注いでる。ちょっとだけ安いんだって。
それで時間を費やし、それがいけなかった。
急いで地下鉄でアトーチャー駅 (Atocher)へ行ったのに、セゴビア行きの列車が出発してしまったのだ。ディズニーの「白雪姫」の城のモデルになったアルカサルを見に行く予定だったのに・・。
次は2時間後だから今日は中止して明日予定のプラド美術館 (Museo del Prado)へ直行。

セキュリティチェックが厳重
チケットは400pst.
陳列がちょっと見づらいような気がした。
私が見たかったボッシュの「悦楽の園」がなんと修復中。とってーもショックだった。
オーストリアで見たベラスケスのマルガリータシリーズもありゴヤもたくさん。ゴヤは賛否両論がある画家。「裸のマハ」や「着衣のマハ」はいいのだが、暗い時代のは私でもちょっと目を覆いたくなる。

ランチはカフェテリアで。サラダにチキンのグリル、オレンジジュース。美術館のカフェって高いってイメージがあるけど、お手頃だった755pst.
でも、午前中からお腹の調子が悪い。昨日、生水を飲んだからか、ガスパチョスープの刺激が強かったのか?

別館にはピカソの「ゲルニカ」があった。時間も遅いのかそんなに混んではいなかったわ。

いつもなら閉館時間までいたいところだが、私はちょっとでも早くホテルにもどって横になりたかった。2人に無理を言ってホテルに一度帰った。

シェスタだから8:30pmからまた街に繰り出す。
夕食は「香港飯店」で1人ずつ注文。私は白ご飯、豆腐と野菜のいためものと軽く食べた。

アトーチャー駅は怖いと聞かされた。駅だけでなくどこにでも出没するスリ。
で、郵便局でいきなり「ボールペン貸して」と若いお兄さんが来た。おっ、隙をみて仲間が財布を盗む手口か、と警戒しまくったわ。でもどうなることもない様子。切手を買っている間にボールペンのことを忘れていて出て行こうとしたら、さっきのお兄さんが「グラッシャス」とボールペンを返しにきてくれた。疑ってゴメンね、お兄さん。


1990年8月30日(木) 

7:30amに目がさめたものの、お腹がシクシク痛む
4ヶ月以上も旅をしてきて、こんなお腹が痛くなったのは初めて。

AyaちゃんとKazumiちゃんには悪いけど今日予定していたセゴビアは中止してもらった。
朝食さえもとりに行く気力もなく、クロワッサンを買ってきてもらった。Ayaちゃんから整腸剤を貰って飲んだ。

明日はセゴビアとトレドと、どっちに行こうか?ということになり、トレドに決定。

とにかく今日は1日寝ていないとね。


1990年8月31日(金) 

よく寝た。お腹の調子も良くなった。
昨日出来なかったスニーカーを久しぶりに洗って出窓に干しておいた。

地下鉄のカルネは10枚でたった410Pst.と安い。地下鉄で車内放送が流れる。
それがとっても面白いの。スペイン語がわからないんだけど、ピンポンパンポンと音が流れた後、男の人の声で「プロキシ・デ・エスタシオン?」と言うと、女の人の声で「アトーチャ」と元気に答えてる。多分だけど、「次の駅は?」の問いに「アトーチャー」と駅名を言っていると思う。「乗り換えは?」との問いに「〜番」っていうように対話式になっていたわ。
そのメトロでアトーチャー駅へ。

6番線からトレド (Tored)へ1時間10分の小旅行。

トレドは1986年に世界遺産に登録されていた。
アルカンタラの橋 EPuente de Alcahntara)を渡ると要塞がある。
 

要塞の脇をタホ川沿いに歩く。

25分ぐらい歩いていくと細い石畳の道になり、右に曲がって登っていくとエル・グレコの家 (Casa y Museo de El Greco)。この中にある“トレドの景観と地図”はすごーく良かった。
そして、そこからサント・トメ教会 (Santo Tome)にもエルグレコの代表作、「オルガス伯の埋葬」の力強さの中に繊細な部分のタッチには目を奪われるほど。宗教画は理解するのが難しい。オルガスの周囲の人々は??ばかりではっきりしないのが現状。でも、雲の上のマリア様とキリストはわかる。
 チケット(200pst.) 

今夜はスペインのバルに挑戦。一瞬は入りづらい気がするバル。
Paco」で1,000pst.の定食。
Entremeses Variadosという前菜でハムの盛り合わせとポットチップス。ポークステーキにフライドポテト、なんと赤ワインが1本付き。いつもなら嬉しいんだけど、今日はさすがに飲めなかった。AyaちゃんとKazumiちゃんが喜んで飲んでた。
そしてデザートにメロン。

やはり、シェスタが始まったとみえて閉まっているお店が殆ど。

両壁に挟まれた路地からカテドラルをパチリ。  →→

そして太陽の門 (Pueta del Sol)を通って駅に向かった。

5:00pmの電車でマドリッドへ。
8:00pmまで待って夕食。
だいぶお腹も回復してきた。良かった。

ホテルにもどったら、干しておいた私のスニーカーの左がナイ! 落ちたのかな?と下を除くと暗くて判らないけど白っぽいクツらしいものが中庭に・・・
ギャーギャー行っていると、隣の部屋の南アフリカ人のおじさんが、メイドさんが誤って落としたのを見ていたらしいの。レセプションに行っても誰もいないし困ってしまった。
実は隣のホテルの中庭らしい。

南アフリカのお客が隣のホテルのレセプションの人に話してくれて下のパティオの鍵を開けてもらい無事手元に帰ってきたんだけど落としたというメイドさんはスミマセンの一言もなし。私達も怒ってもスペイン語では歯が立たないからあきらめた。

シャワーを浴びたらもう12時近くになっていたわ。
なのに、窓から外を見ると、ちょっと先のアパートの部屋の中が丸見え。おばちゃんが何かを炒めている音が聞こえるし、お皿をガチャガチャ洗っている音など生活音が聞こえてくる。べつに覗き見しているわけではないんだけど、窓が開けっ放しだからスペインの庶民の光景が見えてとっても楽しい。

そして驚いたことにまだ席について食事をしている家族もある。もう12時すぎているのよ。こういうのが日常茶飯事のようだわ。
だからシェスタがあるのよねぇ。妙に納得した。

だからここのホテルの必需品は間違いなく耳栓。カンタス航空で貰った耳栓がこんなところで活躍するとは思っても見なかった。

そんなマドリッドの生活を垣間見たいろんな出来事があった思い出のホテル「Hotel Los Alpes]

スペインA (9/1〜9/3)へ続く

2007-11-14 17:37 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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