ニックネーム:河内のターザン
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都道府県:大阪府
羽曳野市の元市会議員です

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バイオグラフィー
2015年04月10日(金)
懲りずに「人工地震」を起こそうとしているのか?!
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2465738.html

原子力潜水艦が徘徊すると、ソナーの影響で、ゴンドウクジラやイルカが方向感覚を失い海岸に大量に打ち上げられます。

その後に、大きな地震がこれまで起こっています!

さすれば、この茨城の海岸に打ち上げられた大量のイルカは何を意味するか?!

断末魔のならず者が、日本を脅して日本の富を巻き上げようとの算段なのか?!

でも、もうそんな理不尽がまかり通る時ではなくなってきているのだ!
2015-04-10 15:17 | 記事へ | コメント(0) |
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2013年07月27日(土)
全国の学会員に知らせたい!





2013-07-27 11:58 | 記事へ | コメント(1) |
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2012年07月27日(金)
戦時中の『神札』問題

間違った歴史認識は、物事の判断を歪めてしまう。

戦時中の創価教育学会の出版物の中に、


「いまや、皇国日本が北はアリューシャン群島方面より遥かに太平洋の真中を貫き、南はソロモン群島附近にまで及び、さらに南洋諸島を経て、西は印度洋からビルマ支那大陸に、将又蒙彊満州に至るの広大な戦域に亘り、赫々たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的を完遂せんとして老若男女を問わず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、今は恐らく戦場精神によって一丸となり、只管に目的達成に邁進しつつあることは、すでに皆様熟知されるところである」(大善生活実証録P48)

と、日本軍の戦果を称賛する言辞がみられる。



小説『人間革命は』あくまで“小説”であって、事実は別に検証する必要がある。

戦時中の神札問題も、正しく認識しなくてはならない。初代牧口会長は、自ら謗法の靖国神社へ参拝していたばかりか、氏が天照大神の神札を拒否した理由も、


「天照大神等の諸神は、現人神たる天皇の身に一元的に凝集されており、その他に神札を祀れば二元論となって矛盾を生ずる」

という、牧口氏独自の神道観に基づくものに過ぎなかった。

氏は、日蓮正宗の『謗法厳誡』の信条を固く守り通したのではなく、氏自身の神社観・神道観を頑固に貫いただけである。



また、牧口氏は次のようにも述べている。

「吾々は神聖にして犯すべからずとある『天皇』を最上と思念し奉るものであって、天皇に帰一奉るのが、国民の至誠だと信ずる」

「天皇は人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが純忠だと信ずる」



⇒ 日蓮正宗に疑問を抱いている創価学会員へ 
  @戦争協力 A神札問題


 

創価学会は、

「学会こそ、首尾一貫して戦争反対を唱えてきた」とか、

「牧口・戸田両会長は、戦争反対を唱えて投獄された」

などと会員に吹聴しているが、これはまったくの出鱈目である。なぜならば、戦時中の創価教育学会が戦争反対を表明したという証拠は何一つないし、牧口・戸田両会長が投獄されたのは、戦争に反対したからではなく、当時の「不敬罪」と「治安維持法」とによるものだからだ。

戦時中は、「国家総動員」の名のもとに、日本の国全体が戦争体制へと組み込まれ、信教の自由が抑圧され、言論が厳しく統制されていた状況がある。 



宗門は、日蓮大聖人の仏法を護り、個々の信徒を無用の軋轢から守るために、軍部の強制による「天照大神」と書かれた紙を受け取ることをやむなく容認したが、

日達上人は、 


「総本山において、天照大神のお札を貼ったことは一度もありません。(中略) 別に我々がその天照大神のお札を拝んだことなどありもしない。また、実際その中(軍部が強制的に使用していた書院)へ入って見たこともない。入れてくれもしない。まあ借家同然で、借家として貸したんだから向こうの権利である。そういうような状態であって、決して我々が天照大神のお札を祭ったとか、拝んだとかいうことは、事実無根であります」

と仰せられている。 



創価学会ではこのとき、戸田理事長の名をもって、 

「学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと (中略) 皇大神宮の御札は粗末に取り扱わざる様敬神崇祖の念とこれを混同して、不敬の取り扱いなき様充分注意すること」


との『通牒』を出し会員に通知している(昭和18年6月25日付)。 

戦争という異常な状況の中で、当時の御法主上人及び宗門の僧俗の苦労によって「本門戒壇の大御本尊」と「唯授一人の血脈」は護られ、その後の宗門・学会の発展につながった。
 

まさに、一国は滅びたが、一宗(日蓮正宗の正法)が滅びなかったが故の戦後の興隆ではないのか。謗法の身延との合同を断固拒否した姿あってのものと思う。 

創価学会は、自分たちの行為を棚に上げて、あたかも宗門が戦争に協力し、謗法を容認したかのように主張しているが、これは宗門を貶めるための悪宣伝であり、卑劣極まりない言動というべきではないだろうか。



精読を願う ⇒ http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/SHIRYO2/B03.htm


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2012年07月15日(日)
池田大作の本性について

平成19年に出版された、原島 崇氏(元創価学会教学部長)の

『 絶望の淵より甦る』

この本を読み返してみた。

池田大作を師匠と仰ぎ、また、池田大作も原島崇氏を一番弟子としたほど頼りにした存在であったようだ。

その一番弟子の原島崇氏が昭和55年創価学会から脱会したが、昭和35年の会長就任より、側近中の側近として、20年間に亘って池田大作に仕え、表も裏も知りつくし、池田の本性を痛いほど見尽くして来た氏の遺言ともいえる書ではないかと思う。

ぜひご一読願いたき本だ。

氏の書きとどめた “ 池田大作の本性 ” を原文から少し紹介したいと思う。



●すべては幼少期のコンプレックスに発している

  
昭和55年に入り、私は池田大作に直接会って、数多くの誤ちを諫言しなければならないと心に誓いました。間に人を介してはダメだ、私自身がじかに池田に会うしかないと決断し、私の意思が通じて、2月26日、本部一階の応接室で、一対一で6時間にわたって私の思いをありったけぶつけました。

「本尊模刻」の大謗法と「正本堂が御遺命の戒壇」と偽った大謗法を鋭く指摘しました。
また、池田大作の人間性についても、私の感ずることを「生理的嫌悪感を感ずる」と直言しました。 
これにつての詳細は別の機会に譲ることとして、ここでは池田大作の本性について、最側近にいた私のありのままの真実の告白を綴らさせていただきます。



1.コンプレックスの固まりのような存在 

これは彼の幼少期の体験が大きく影響しているようです。

彼は母の「いち」さんには様々な機会にふれていますが、父のことについては、ほとんど言及していません。ただ氏名が「子の吉」であること、「ノリ業者」であること、「強情様」といわれたことぐらいの記述しかわかりません。 

昭和20年代後半に池田は父のもとを去ってアパート生活をしていたこと、父を最後まで日蓮正宗の信仰につけさせることができず、結局、真言宗の葬儀をするという結果に終わったのです。池田は一番大切な実の父すら折伏できなかったのです。

結局、母に対しては信頼し、尊敬をしていましたが、父には何かしら憎悪すらいだいていたように受けとれます。こうした「父親不在」ともいうべき幼少期、青年期を経た人特有の「暗い影」すら池田には漂っています。 

加えて、彼は病弱であり、貧しい家庭環境にあったこと、高学歴を経てないことなど複合的原因が、彼の「コンプレックス」を形成したものと思われます。 

それが、たとえば実際には卒業していないのにもかかわらず、東大出身の桐村泰次氏に、40歳代になった昭和40年代の前半、卒論を「代作」させて、富士短大卒としたり、最近では、数多くの勲章とともに「名誉博士号」を取得し、「池田博士」といわれることでご満悦になっている根っことなっているのではないかと思います。



2.「ウソつき」の天才 

すべてがウソで固められているといっても過言ではないくらいです。

・彼の「入信神話」のウソ
・「戸田二代会長からエレベータ相承を受けた」というウソ
・「池田本仏化」の自作自演の数々のウソ、
・すべてての著述等を自分で書いてきたという大ウソ
・会員から一銭も寄付を受けないと約束したことのウソ
・学会としてお墓を作らないといったウソ
・「名誉もいらない、勲章もいらない」といったウソ
・「言論出版問題」で大誠実を装い「関係者の方々に直接お詫びしたい」 と宣言した ことを実現しなかったウソ
・日達上人をごまかした数多くのウソ、政教分離を約束したウソ 

などなど、数えあげればきりがありません。



3.全くの無反省体質 

私は、池田が心から反省したことなど、ついに一度も見たことがありません。彼が社会や宗門に誓った様々な「お詫び」を口にした「猛省」など、ことごとく虚偽です。

自己をを省みる尊さ、強さなど、まるでわかっていません。



4.権力欲の権化 

彼は若い頃から「天下を取る」ことが口癖でした。 

仏法は権力欲とはまったく関係がありません。むしろ仏法の始祖・釈尊は、王たる身を捨てて出家し、仏道を成就したのです。 末法の御本仏日蓮大聖人様も、世俗の権力者を諌められましたが、みずから権力者になることなど毛頭考えておられませんでした。

檀越の方々にも「天下を取れ」とか、それに類いすることは一切仰せられていません。

むしろ「御みやづかい(仕官)を法華経とおぼしめせ」と仰せられたように、良き社会人であることをご教示になられているのです。 

彼の権勢欲と共に、名誉欲も他にぬきん出た激しいものがあります。

彼はかつて「名誉もいらない、勲章もいらない」といっていたのです。

それは表向きのきれいごとであって、本心は名誉欲の権化だったのです。

これは今日の池田大作の勲章の数、名誉市民など名誉称号の数の多さが証明しております。彼はそれを誇らしげにしていますが、仏法では「名聞名利」を強く戒められています。 

第九世日有上人の「化儀抄」には

「一、名聞名利は世事なり。仏法は自他の執情の尽き足る所なり。出家して此の心有る時は、清浄の仏法を盗んで名聞名利のあきないになす処は仏法を盗むなり。厳に然るべからず心中なり。尤も嗜むべし云云」とあります。

これは出家の戒めを説かれていますが、「法盗人」とまで厳しく言われています。

池田の場合も、勲章の数を誇り世界各地から名誉称号を数多くもらっていることを自慢のタネにしていることは「名聞名利」そのものであり、それは「世事」であって、しかも世間的にも卑しいことであって、仏法とはまったく関係ないのです。

しかも、そうした称号を得るために、会員から収奪した金を利用していることは、「法盗人」であり、世間的にも醜い根性の見本みたいなものです



5.支配欲の凄まじさ 

彼は、会員を彼に仕える「奴隷」のように扱っています。

池田は常々、「私のために死ねる人間」「私のために死ねない人間」と幹部を色分けし、池田のために死ねるという人間だけを重んじてきました。

“池田本仏化”も、第六天の魔王(他化自在天)のような、他も自在に操る魔性を持った人間の振る舞いそのものです。 

支配欲は、創価学会のみにとどまりませんでした。

日蓮正宗までも支配下に納めようとしたのです。

それは正本堂建立以後あらわとなり、日達上人を悩ませたのです。 さらに前述したように、国家支配を長年めざしてきました。若い時からの口癖は「天下を取ろう」であり、創価学会の「総体革命」もその路線そのものです。



6.「慢心」のかたまり 

私は最側近にいて、彼が

「どうだ、私はすごいだろう」「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」

と聞いたことがあります。

「私の記憶力は抜群だ。そうでなければ、30年前の『人間革命』など書けるわけがない」(『人間革命』は故・篠原善太郎氏の代作)・・・ 

こうした慢心は著名人にも及んでいます。

「中曽根康弘(元総理)はこちら(創価学会)の小僧だ。ケネディ気取りで、よしよしと言っておいた」「トインビーは過去の人で、また机上の空論の人だ。私は実践の人だ。そう、トインビーもいっていた」 

こうした池田発言を受けて、「聖教新聞」では「世界の偉人に並ぶ」といったマハトマ・ガンジー、キング博士、アインシュタイン等の人類の「偉人」を数多く並べ、それらの人々の偉大さを全部そなえた「偉人」として奉っているのです。 

第67世日顕上人は、御登座以来、

「十四誹謗」「1にきょう慢、2に懈怠、3に計我、4に浅識、5に著欲、6に不解、7に不信、8に顰蹙、9に疑惑、10に誹謗、11に軽善、12に憎善、13に嫉善、14に恨善」(松野殿御返事)

を通して、第一の「きょう慢」の恐しさをご指南あそばされていました。

御隠尊日顕上人は、27年間の長きにわたって御法主上人の重責を担われ、平成17年12月12日に日如上人に「唯授一人の血脈」をご相承あそばされました。

その日顕上人が最も憂えられたのが、池田大作の「きょう慢」謗法でした。

正本堂にしても「御遺命の戒壇を私が達成した」とし、自分が大聖人さえできなかったことをやりとげた、自分は大聖人の「再誕」もしくはそれ以上の存在であると誇示していましたが、これこそきょう慢謗法の最たるものです。



7.「人を信ずることができない」性格の持主 

池田から「私は誰も信じない」という言葉を何度聞いたことでしょうか。

私はその言葉を聞くたびに、「人を信じれない」ということは最も不幸なことだと哀れに思っていました。 

仏法上の「信」は「道の母」ともいわれ、仏法を会得する上で一切の源であることは、諸御書に明らかです。 

生活と社会の場においても、「信」は人間関係の基本であり、社会のルールも「信」を欠いては成り立ちません。家族も「信」によって結ばれてこそ、円満な家庭がありうるのです。

一般世間の師匠と弟子、学校の教師と生徒、会社の社長と社員、友だち同士、みな「信」を基本に置いてこそ、良好な関係がありうるのです。世の中に「信」というものをなくせば、殺伐とした社会になっていくことでしょう。 

池田大作が「誰も信じられない」というのは、人間関係の基本の欠如であり、より根源的には、仏法そのものの「信」が欠如しているからにほかなりません。彼が「信」という言葉を使うとき、必ず「無疑曰信」(疑い無きを信と曰う)という言葉で語るだけです。 

「無疑曰信」とは本来「疑うな」という意味ではありません。最高の仏法は「真実」であって疑いの余地のないことを指しております。「疑い無きを信と曰う」という意味も、疑って疑いぬいて、なおかつ疑うことのできないところを「信という」との意で、「信」の尊さを教えているのです。

むしろ、第26世日寛上人は「大疑は大悟に通ず」と仰せられています。疑うのは「信」のためであり、最終的には「信」に到達しなければなりません。そして疑うことのみで終始すれば、それはやましい「猜疑心」であり、ここには真実の幸福は生まれません。 

しかし、池田が使う時は、「私を疑うな、私を信じろ」ということの意であり、むしろ、これはあえていえば「不疑曰信」といえるでしょう。



8.「被害者意識」がきわめて強い 

自分が加害者であっても、被害者を装うことが常でありました。

言論出版問題の時も、創価学会=池田大作”が加害者であるにもかかわらず、「処女が強姦されたような心境です」と高瀬広居氏に語るなど、まさに「被害者」を装っています。

あの時も「法難」という言葉がしきりと語られました。

法難というのは正法を広めて難にあうことであって、世間法を犯して社会から指弾を受けることは、法難とはいわないのです。 

日蓮大聖人は「世間の失一分も無し」と仰せられて、正法を護持し、広めていった結果の難であって、「世間の失」は一分たりともないと示されています。

池田大作の場合は、「世間の失」ばかりです。これでは大聖人のお叱りを受けるばかりであり、かえって大聖人の法を下げる行為といえましょう。 

大聖人の仏法は、みじんも「被害者意識」などありません。むしろ、「苦をば苦とさとり、楽をば楽と開き」という、いかなる事態にあっても悠然たる不動の境地に立つことをご教示になられています。



9.批判拒否体質 

彼は自身への批判を最も恐れおののき、すべて拒否します。

これは池田の絶対化、無謬性と無関係ではありません。人間に絶対などということは、誰人もできません。また、「無謬」などといえる人もいません。みな等しく、誤ち多き人間の集まりです。 

しかし、もし誤ったとわかれば、即座に改めればよいのです。批判を拒否するというのは愚かな、本性は弱い人間のやることです。

すなわち、度量の小さい人物です。

批判にも、正当な内容はたくさんあるのです。それを受け入れる度量をもつ人こそ、賢明な態度をもっているといえましょう。 

池田は批判に対して神経質なぐらい気にします。自分の人格が傷つけられると思うのでしょうか。かえって批判を受け入れて、もし誤ちがあれば改めることの方が、人格的にすぐれていると私は思います。 

その人の人格の泉、常日頃、「徳」を積んでいるかどうかにかかわっています。人がどう思うか、人々の評価がどうか、ということにこだわりすぎて、人々から称賛されたいとの願望のみに生きていることは、仏法上「八風におかされた人」というのです。

ちなみに「八風」とは「利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽」です。



10.「万能感」「優越感」「ナルシスト」

ナルシストは、自身の姿にうっとりし、自分はなんでもできる、他の人とはまったく違う存在であると思い込んでいる人間です。 

そしていつも他を意識して、自分が常にすぐれていると考えることが、習性のようになっているのです。

これに「それ仏法と申すは勝負を先とし」というご金言を悪用することが長いあいだ続いた結果、「勝他」(他に勝つ)との思いがありありとうかがえます。

これは劣等感の裏返しでもあり、これも仏法上「修羅のおごり」と教えられております。



11.大衆の「人身操縦術」に長けている。 

直観力は鋭く、鋭敏であり、人々の心理を巧みにキャッチし、うまく丸め込んでしまうのを得意としております。

しかし、それは「うまい」という印象にはなりましたが、同時に「ずるがしこい」という感想もいだいたこともあります。 

彼には英知も高邁な理想もなく、また仏法においては、全くトンチンカンな理解力しかないのです。何もかも知っているかのような言動が多くみられますが、本当はなにもわかっていないのです。 

昭和55年、私は中西治雄氏と個人的に何回も話し合ったことがありますが、長年、池田に仕えきってきた中西氏は

「あの人(池田)は教学が全くないから」

と言っていましたが、私の知っている限りにおいても、全くその通りでした。 



池田の本性を以上の諸点に絞りましたが、それ以外にも色欲のすさまじさ金銭欲、物欲の執念等、数えあげればきりがありません。要するに、ことごとく「仏法違背」の本性をむき出しにしていたのです。


http://www.youtube.com/watch?v=oyzJ7yo2aTg


平成4年7月4日
日蓮正宗大願寺所属池田大作に信徒除名処分通知



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2012-07-15 17:46 | 記事へ | コメント(6) | トラックバック(0) |
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2012年07月13日(金)
『いじめの裏にあるこの国の正体』を読んで
ご存知の方は多いと思うが、天木直人さんは元外務官僚で『さらば外務省』の著者だ。小泉政治が、ブッシュ米国のイラク戦争支援を即時容認支持した時、その愚を指摘したためレバノン大使を解任された人だ。

私は、天木直人さんのメルマガを読ませていただいているが、 本日付のメルマガに標記のテーマの一文があり、まさに人間社会の恥部を鋭く突いた内容なので、以下転記させていただく。


「確かに、いじめはどの学校でも起こり得ることなのかもしれない。とはいえ、これほど執拗で陰湿なケースは滅多にない・・・」   

こういう書き出しで始まる発売中の週刊新潮7月19日号の大津市 中学校いじめ事件の特集記事を読んでつくづく思い知らされた。  

今度のいじめ事件のひどさについてである。   

しかし、それ以上に、今度のいじめ事件の裏にある強者たちの卑劣さ について思いをめぐらせずにはいられなかった。  なぜこのいじめ問題がこれまで問題にされなかったのか。  いじめられた中学生の自殺が昨年の10月11日に起きていたにも かかわらず、きょうまで隠ぺいされ続けてきたのか。   

きっかけは自殺した中学生の両親が今年2月に加害者生徒とその保護者そして大津市を相手取って提訴したからである。  

裁判の過程で事実が次々と明るみになってきたからである。  

両親が提訴する勇気がなかったら、この問題は闇に葬られ、何事もなか ったかのように終わっていたのである。  

おそらくそのようにして闇に葬られた無念な事件が、この国には数限り なくあるに違いない。   

私が週刊新潮の記事のどこに注目したか。 

それは加害者生徒たちの親たちが社会的強者であるという事実だ。  

母親がその中学校のPTA会長であり、父親が京大医学部卒のエリート であるという。   

もし、学校や教育委員会や大津市当局が社会的強者に配慮して見て見ぬ振りをしていたらどうか。 この事は加害者と被害者の家庭環境を逆にして考えると容易に想像がつく。 強者の子弟がいじめで自殺した場合、泣き寝入りするだろうか。 いや、そもそも強者の子弟がいじめられるか。 いじめを受けてそのまま放置されるようなことになるのか。
  
週刊新潮の記事は次のような言葉で締めくくられている。  

「子供の非行を放置した挙げ句、庇い続けるバカ親。政治的パフォーマン スだけの市長や、自己保身に汲々とするセンセイたち。悲劇は起こるべく して起きたのである」   

この世の中の不正義や矛盾は、強者の中からそれを正そうとするものが現れてこなければ決して解決しない。強者にいじめられた弱者がいくら抵抗し ても押しつぶされたり、ごまかされて終わってしまう。   

これが、私がこの国の政治を語る時の持論である。   

強者が自らの利害を捨てて弱者のために立ち上がらなければ支配構造は変わらないのだ。 何の改善もなく、支配者たちの悪業は隠ぺいされて終わる。   

残念ながら日本という国はそういう国なのかもしれない。  

少なくとも米国に占領されて始まった戦後の日本はそうだ。  

強者が強者と組んで弱者を排していく社会であり続けたのだ。   

それを見事に教えてくれているのが7月下旬に発売予定の孫崎享氏の最新著である「戦後史の正体」(創元社)である。  

孫崎氏はその著書の最後にこう書いている。  

この本に書かれている知識が日本人の常識になれば、新しい日本が始まると。  

その通りだ。  

そしてその新しい日本とは、これまでと違った公正で明るい日本なのである



以上がメルマガの全文だ。

何かが狂っている・・・まともな社会じゃない

と国民の中に “苛立ちの思念” が渦巻いているように思う。

『長いものには巻かれろ』 

と主体性なき生き方を植え付けられてきたなれの果てが今の日本の現状そのままではないだろうか。

政権を取った時の国民との約束の基軸を貫こうとする「国民の生活が第一」が、まるで民主党を造反したかのようにメディアは喧伝している。

だが、今残った民主党自体が国民を裏切る“抜け殻政党”になったのではないのか!

権力支配の構造が、今、社会の前面に晒されつつあるように思う。

権力者の思うがままに誘導されてきた政治に、終止符を打つのは我々国民の主体性にかかっているのだ。
2012-07-13 17:33 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2012年07月08日(日)
原発再稼働を国民は容認していない!
3.11のあとに、作家の村上春樹氏がスペインのバルセロナで語ったスピーチ。 私たちはいま、その言葉をもう一度かみしめる必要がある。


「僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。

原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。

何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。

なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し 進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国 民です。 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った 人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。

核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこ の世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの 人々の犠牲の上に学んだのです。  

そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたっ て放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。

これは 我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに 爆弾を落とされたわけではありません。

我々日本人自身がそのお膳立てをし、 自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊して いるのです。  

何故そんなことになったのか? 理由は簡単です。「効率」です。

原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。

また日本政府は、とくにオイルショック 以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるよ うになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買 収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電に よってまかなわれるようになっていました。

国民がよく知らないうちに、地震 の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

そうなるともうあと戻りはできません。

既成事実がつくられてしまったわけで す。 

原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなく てもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも 「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。

高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等し いからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッ テルが貼られていきます。 そのようにして我々はここにいます。

効率的であったはずの原子炉は、今や地 獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。

それが僕の意見で す。

我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。

たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日 本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられ た、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。 核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだ ったのです。

それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取 り方となったはずです。

日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。

しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。 我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」 や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。

我々 は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないの です。」


以上、植草一秀氏のメルマガより抜粋
2012-07-08 17:22 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
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2012年07月06日(金)
創価学会の教義逸脱について

創価学会の教義逸脱について、

1.創価仏法の原点は、戸田会長の獄中の悟達にある 
2.途中の人師論師は無用である(唯授一人の血脈否定) 
3.『人間革命』は現代の御書である 
4.池田会長は主師親三徳具備の大導師である 
5.寺院は単なる儀式の場、会館は広布の道場である 
6.供養は在家でも受けられる


以上六項が挙げられる。

昭和47年の正本堂建立における当時の日達上人のご指南に承服できなかった池田大作(「日蓮大聖人の御遺命の戒壇」を自分が達成したのだとする慢心)は、宗門に対して根強い反感を抱くと同時に、「学会は主、宗門は従」との本末転倒の考えをもとに、宗門支配を画策し、宗門に対して様々な圧力を加え始めた。 

昭和52年には、学会に批判的な僧侶に対する吊し上げを次々と行い、公然と宗門批判・僧侶否定をするようになったことは当時の会員さんはご記憶と思う。 

次第に日蓮正宗の教義信仰から逸脱し始めた創価学会は、ついには御法主上人の許しを得ず、紙幅の御本尊を勝手に板御本尊に模刻するという大謗法犯している。 

なお、当時、創価学会が宗門支配、もしくは分離独立をひそかに画策していた事実は、側近幹部が池田大作へ提出した

『山崎・八尋文書』(昭和49年4月)に、 

「一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がかからない範囲で、(中略)いつでも清算できるようにしておく方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です」 

『北条文書』(昭和49年6月)に、 

「長期的に見れば、うまくわかれる以外ないと思う」 
「やる時が来たら徹底的に斗いたいと思います」がある。

これは当時学会の顧問弁護士であった山崎正友氏内部告発によるものだ。 

この「52年教義逸脱問題」は、宗内僧侶を中心として学会批判の声が全国的に広がり、脱会者が続出している。 池田大作はこのままでは創価学会の崩壊につながると危惧したのだろう、

日達上人に謝罪し事態の収束を願い出た結果、

昭和53年6月30日、学会は聖教新聞に「教学上の基本問題について」と題して、教義逸脱に関する訂正文を掲載している。 

さらにそのころ、学会による本尊模刻問題が発覚し、同年9月28日、学会は急きょ、七体の模刻本尊を総本山に納めている。 

これらのことで、窮地に陥った学会は、同年11月7日、幹部二千名が総本山に登山(通称お詫び登山)し、謝罪の意を表明している。 

しかし、実際には、その逸脱は何ら改められることがなかった故、宗内から池田大作の責任を問う声が上がり、

昭和54年4月24日の会長辞任、
同月26日の法華講総講頭辞任

となっている。 

これを受けて日達上人は、同年5月3日の本部総会の席上、

「創価学会が日蓮正宗の信徒団体としての基本を、今後忠実に守ること」

を条件としたうえで、学会問題の収束を宣言されている。 

しかし、本質的に宗教次元とは土俵を異にする池田大作は、その本質を隠しつつ、自分の野望実現のため会員を誑かし道具としてきた。

これは洗脳され続けてきた純真な学会員には理解しがたい、理解したくないことだ。

結局、大謗法の船頭に率いられた大船に舵を正す意思の全くない諦観から、  

「創価学会解散勧告書」(平成3年11月7日)  
「創価学会破門通告書」(平成3年11月28日)

に至ったものだ。

なお、上記の二書に文証等丁寧に表記されているのでご参照いただきたい。



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2012年07月05日(木)
脱会したのは何故?!
元は、日蓮正宗創価学会として、日蓮正宗の教義を守り信仰活動に励む中、総本山を外護する信徒団体であったはずだ。

昭和27年に、広がる折伏活動の進展に伴い、その社会的責任を一手に引き受け総本山外護を果たす意味で戸田第2代会長は宗教法人格取得を進めたものであるはずだ。

その時、宗門からは次の『三条件』が提示された。

1.新しく入信した信徒は各末寺の所属とすること。
2.日蓮正宗の教義を守ること。
3.日蓮正宗の三宝(仏、法、僧)を守ること。


信徒団体としてのこの三カ条の基軸を遵守することを約し、総本山から法人格取得を許されたものだ。
ところが、第3代池田大作は、戸田第2代会長の真意から逸脱し、“庇を借りて母屋を乗っ取る”行為に走った。

昭和52年路線といわれるもの、平成2年の反逆の狼煙は、信心なく、大聖人の仏法をなにも解っていない池田大作の正体を暴露したものであったと今振り返れる。

日蓮正宗の根本義は三大秘法にあり、三宝の遵守にあるはずだ。

それを、こともあろうか信徒の団体でありながら、度重なる宗門からの訓戒をも無視して、教義逸脱を繰り返す創価学会に「解散勧告」から「破門」へとことが進むのは当然の成り行きである。

平成3年の破門より、創価学会は日蓮正宗とは一切関係のない団体となったにもかかわらず、法盗人のように、都合に合わせて日蓮正宗の教義のいいとこ取りをし、宗教法人を装っている。

破門の時点で、宗教法人ではなくなっているのだ!
宗教の衣をかぶって、信者を社会を誑かす極悪大謗法団体でしかないのだ!
戸田会長の真意を冒涜して、邪念で以って宗教法人格を悪用してる!

根本義を失った学会は、池田大作の神格化のため、躍起となって学会メディアを駆使して会員の洗脳にかかった。 真面目で従順な会員に、池田大作を大聖人の生まれ変わりと思わせるよう、小説「人間革命」、聖教新聞、大白蓮華等々の学会メディアで会員の洗脳を図り、批判する者あらゆる手段を駆使して排除してきたのが事実の経過ではないか。

そういう意味で、総本山第67世日顕上人猊下は泰然自若と平成の法難に立ち向かわれ、微動だにすることなく総本山と日蓮大聖人の正義を守り抜かれてきたお姿を拝することができると思う。

学会会員は、真実とは真逆をその思考の中に刷り込まれているのだ!仏、菩薩の境界から宗門は学会の誤りを正そうとされたのとは正反対に、学会は、地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪趣の境界で宗門を逆恨みし下劣な批判に終始している実態は悍ましい限りではないか!

学会を信じきっている幾百万の方たちが、未だその洗脳から抜け切れず、誑かされたまま暗雲の中を彷徨っている。

一人一人と洗脳から覚醒する会員を増やしていけば、 悪の牙城は必ずや崩壊させることができるものと思う!


『愚者の大船』の船底に覚醒の穴をあける作業を有志とともに!!

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2012年07月04日(水)
覚醒の波を!!


売国政治一筋の野田民主党政治に、
何故、その非を糾弾せず、公明党は権力側に同調したのか!

公明党の本質は、小泉・竹中政治に阿た時点で見えていた!
姑息にも、『生活与党』を掲げて巧みに表面を繕っていたが、
売国経済政策を擁護して日本経済を疲弊させ、日本の富を外資に献上したではないか!

ゴロツキのブッシュ政治に同調し、アフガン・イラクに米軍を侵攻させ、多くの罪無き民の殺戮を幇助してきた!

しかも、『9・11』はブッシュ米国の自作自演テロと聞く!!
石油・麻薬利権”とドル防衛”のために、数多無辜の民の生命が奪われた!

何故、正義を曲げて、権力に固執するのか!
戸田第二代会長は、厳然と『衆議院進出』を否定し、宗教本来の立ち位置を明示してきたではないか!

池田第三代会長となって、路線は一気に権力志向となった。

池田大作のおぞましき権力欲・支配欲の野望が、純粋な信仰を根底から汚染させてきた。
会員の抱く純真な広宣流布・総体革命”の理想は、
邪念の指導者によって、建前のみとなり、真逆の陰険な方向へと誘導されているではないのか!

池田大作の支配欲実現のため、数多会員が手駒として一生を捧げていて良いのか!

公明党よ!

偽善・ブリッ子の建前政党”で、いつまで国民を欺こうとするのか!世間の正視眼に本質は見抜かれているぞ!
至上命題は、『宗教非課税死守』『創価犯罪の隠蔽』ではないのか、と!
そのために、政権与党で有り続けねばならないのだ、と!

公明党地方議員は、世間の目を欺く、主体性なきロボット”で良いのか!
『愚者の大船』の一乗組員のまま一生を終わるというのか!
本来あるべき一生成仏の人生は、全く違っているのではないのか!
謗法与同の人生に、知らぬ間に雁字搦めになってはいないのか!

覚醒の炎は、今、一つ二つと列島に拡がる・・・
隠蔽され続けてきた邪悪の箱”は、覚醒の炎の広がりとともに焼き尽くされ、そのおぞましき正体が世間の目に晒されていくに違いない!!


正義の覚醒の波を!!


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